真冬の琵琶湖のオカッパリが、近年は空前の賑わいとなっていることは以前の記事で述べました。
しかしながら、魚は増えておらず、一人あたりのデカバスのキャッチ率は残念ながら下がる一方です。
ただでさえ寒く厳しい冬の奥琵琶湖で、魚の反応も減りつつある状況の中では、テクニックなどより、メンタルをいかに保つかがこれまで以上に重要になってきました。
普通に釣るのすら厳しくなる中で特大のバスを狙うわけですから、鋼のメンタルが必要不可欠となります。
この記事では、冬のデカバス釣りでメンタルを保ち続ける方法について、私自身が心掛けている事を解説します。
信じられるルアー
当然ながら、自信があり信用できるルアーが無いと話になりません。
とはいえ、多くのルアーを習得する必要はなく、どちらかというと、限られたルアーの絶対的な信頼感を高めておく方が重要です。
数を釣るなら状況に応じたルアーローテーション、、、という事になるのでしょうが、魚の反応に応じてルアーを変えるほど反応がそもそもありません。そんなことは冬に入る前に済ませておくことです。
「これで食わなければ、ここには居ない」そう思えるほどのルアーが、2~3種あれば充分です。
引き出しが多い方が有利なのは言うまでもありませんが、そのうえで、現場では選択肢を最小化しておく方がメリットが多くなります。
現場でルアーで悩むことが無くなり、結果、他の事に時間や脳のリソースを割くことができます。
パターンを捨てる勇気
真冬であっても、40~50cmがコンスタントに釣れるパターンはあります。あの場所に何時頃にこのルアーで、、、こんなパターンを見つけると、それをなぞりたくなります。
しかし、特大を狙うのであれば、それはかえって遠回りをしているかもしれません。
何年もの間、釣られることなく規格外の大きさに成長できた個体は、パターンの中にいる魚より、賢く効率的に捕食し、そしてある程度の個性のようなものがあると考えています。
ざっくりいうと、場所も戦略も「パターンの少し外側」を狙うことになるのですが、今回のテーマはメンタルですのでこれ以上は触れません。
パターン外の魚を狙うのですから、当然ながらキャッチ数が激減します。釣れない不安と釣りたい欲望から、ついつい安易なパターンに逃げたくなります。
大事なのは、「自分はパターンの魚などはなから捨てている」という事を意識することです。
そうすれば、ボウズが続いてもなかなかめげないものです。
プラス要因を見つける
ずいぶん昔にロクマルを釣ったときの話です。
その日は2月の奥琵琶湖にしては珍しく、午後になっても無風快晴べた凪で、一見すると全くのノー感じで、もう何時間もアタリなど一切なく帰ろうか迷っていました。
以前から目を付けていたポイントに入れたとはいえ、自分の投げたルアーの着水音すらうるさく感じ、集中力も下がる一方でした。
もう数投で帰ろうかと思った14時過ぎ、自分の目の前に亀が浮上してきて、また潜っていきました。冬眠しているはずの亀の目撃で集中力が復活。
よく見廻すとユスリカのハッチが増えベイトフィッシュも見えはじめ、周辺の生命感が増していくのが感じられました。
そしてその後すぐにロクマルが釣れてしまいました。
この場合、亀の存在に気付けたことがボウズとロクマルの分岐点だった訳ですが、このようなわかりやすい事はなかなか起こりません。
この経験以来、状況を読むというよりはメンタルを維持するために、プラスの要因を一つでも多く探すようになりました。
アプローチは慎重に
何度も書いていますが、デカい奴ほど警戒心が強い(警戒心が強いからデカくなれた)という前提があります。
ポイントに入るときに、足元の石を崩して音を立ててしまった、周囲の水鳥を驚かせてしまった、などをやらかすと、実際に魚が逃げたかどうかは別として、「逃がしてしまったかもしれない」という意識がメンタルにマイナスに働いてしまいます。
準備不足はマイナス
現場で釣りを始める時、忘れ物や準備不備に気付き、100%の状態でない事を認識してしまうと、メンタルとしてはよろしくありません。
ライン巻き替えてこなかったので、糸つぶれやザラザラで気になる。
リールの油切れで、巻きがスムーズでない。
使いたかった重さのジグヘッドを忘れてしまった、、、
まだまだありますが、準備不足は極寒の中で釣りをやめるには十分な理由になってしまいます。
今の自分で考えられる限り完璧な状態で現場に臨んでいないと、迷いが生じ、メンタルを保ち続けるのは難しくなります。
防寒をケチってはいけない
冬の奥琵琶湖の気温は、氷点下付近がデフォルトとなります。
そこに北風、雪やミゾレ、雨などがプラスされると、体感温度はさらに下がります。
あたりまえですが、防寒が不十分だとメンタルを大きく削がれてしまいます。
とはいえ、最近の防寒着は保温性、通気性、撥水性などが優れているものが多く、その気になれば指先と顔以外は完全防寒が可能です。
私の場合、5mm厚のネオプレーンウェーダーに、保温系のインナーやフリースを重ね、ゴアテックスのアウターを羽織ります。
冬を本気でやるなら、アウターは、タックルやラインなどと同じようにお金をかけるべきです。
ウェーダーは常時入水を意図したものではなく、ランディング時や移動時にどうしてもという時の入水のためと、カッパのズボンとして優れているためです。
コストと感謝
へこたれそうになった時、今日このポイントに立つためにかけた準備の労力、時間、お金(つまりコスト)を思い出すと気合が入ります。
また、自分の釣りに理解を示してくれる家族や周囲の人たち、デカバスを育む奥琵琶湖という環境への感謝に思いを巡らすと、さらにもうひと頑張りできる事でしょう。
くどいようですが、そこからのもうひと頑張りが、ボウズと10ポンドオーバーの分岐点になることがあります。
スピリチュアルな要因
そもそも釣りには、運の要素が大きいと思っています。毎回、自己記録を狙っていくこの釣りでは尚更です。
朝のテレビの占いが1位の時はメンタルにプラスではありますが、そういう浅い話ではありません。
普通の日本人であれば、物ごころ付く前から「八百万(やおよろず)の神」というメンタリズムが徹底的に刷り込まれています。「お天道様(おてんとうさま)は見ている」というやつです。
「自分はそういうのは信じない」という人もいるでしょうが、そうはいきません。
釣り場にごみを捨てる人ですら、周囲の目を気にしながら捨てます。彼らなりに、幼いころから刷り込まれた罪悪感があるわけです。
お気軽な釣りならこういう事は気にならないのでしょうが、この釣りではこういうことがバカになりません。
釣れない時間が長くなり、うだうだ悩み始めると、自分の犯した小さな悪事が気になり始めます。はっきりと意識しているかは別にして、「神に愛されていない感」が潜在意識レベルで発動すると、リズムが狂い、あらゆることが嚙み合わなくなってきます。
また、一流のアスリートでも「験を担ぐ(げんをかつぐ)」のは、よく知られています。
前回デカいのを釣ったときに、行きに食べたコンビニスイーツを食べる、道の駅のトイレは同じところを使う、ウェーダーは右足から履く、、、些細な事でも、気になったのなら実践すべきです。
準備のところでも述べましたが、「できることはすべて行い現場に臨んでいる」という自信が、限界時に力になります。
SNSなどを見ていても、釣り場のごみ拾いをしている人ほど、よく釣っている印象があります。
ちなみに、私自身の自己記録の65cmのバスは、後厄明けの節分後の最初の週末に釣れています。
とりあえず一匹釣る
身も蓋もありませんが、とにかく一匹釣るまで頑張りましょう。
その一匹から得るものは計り知れません。テクニック的に得るもの以上に、「釣れるんだ」という自信を得ることは、次につながります。
ギャンブル性の高い釣りですので、釣れた時の興奮は、普段の生活では得られないものがあります。寒さでなく興奮で手が震え、普段出ない脳内麻薬的なものが確実に出ています。
良くない表現ですが、ギャンブル依存症と同じ報酬系の脳内メカニズムが確実に働き、「次」が欲しくなります。
こうなったらしめたもので、極寒の中の釣りが苦痛でなくなってきます。
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